イチブトゼンブ

スリランカに行ったとき、

スリランカ人のある男に襲われそうになったことがあった。

 

 

うっかり、のこのこついて行き、

優しい彼に油断した私が何より悪いことは、

前提条件でおいておきたい。

 

しかし、学んだことは、

「全てのバックパック女子は外国人男性に注意せよ!」

ではない。

 

 

じゃあ、何かっていうと、

人には、その言動をする「背景と理由」が必ずあるということ。

 

 

ああ、このまま私は、

彼の運転するこの大きな車から逃げ出すも出来ず、

電波もない村に行って、きっと、最後は。

 

 

と、悟った。

 

お母さんにラインで連絡しようと思った。

でも、電波がないからできない。

 

擦り傷で血だらけになって、全身打撲になることも覚悟で、今ドアを開けて転げ落ちても、

この道には誰もいない。

またどうせ車にのせられる。

 

 

 

死ぬ前にできること。

 

「この人を理解すること。」

 

残された時間、

 

少しでも彼を理解し合えれば、

 

万が一、億が一、助かるかもしれない。

 

そうじゃなくても、

 

どうせ最悪の結果なら、

 

残された時間を、

彼を憎む為ではなく、

好きになる為に、使いたい。

 

 

 

「ねえ、さっき、日本と日本人が好きって言ってたけど、なんで?」

 

「ねえ、今まで、日本人と付き合ったこはあるの?」

 

「そうだったんだ。そんなことがあって、辛かったよね。」

 

 

発見したこと。

彼は、日本人のユミ(仮名)という方と、

お付き合いしていたこと。

 

ユミはふっくらとして美しい女性。

30代後半。 

 

スリランカに訪れたユミに一目ぼれした彼。

ユミは、私と同じく観光客だった。

 

ユミも彼を好きになった。

ユミはお金持ちで、彼に会いに何度もスリランカに来た。

また、彼をタイの旅行に連れて行った。

 

 

でも、タイの旅行でことが一変した。

 

ユミがお風呂にはいいている時、

彼がユミの携帯を見ると、

ユミのウエディングの写真がアイフォンに沢山あった。

 
彼は、浮気されていた。

というか、騙されていた。

 

ユミのお金の出どころは、旦那さん。

忙しい旦那さんにかまってもらえなかったらしい。

 

 

 

彼は、泣く泣く別れた。

 

「今でも会いたいと思う、大好きだ。

だが、許すことはできない。」

 

 

 

そうか、きっと、この人は。

 

 

ユミの記憶を、

全ての「ニホンジン ジョセイ」に紐付てしまってるのではないか。

 

ユミへの思慕も、

ユミへの恨みも、

ユミを破戒したい気持ちも、

ユミを抱きしめたい愛も、ぜんぶ。

 

整理しきれないままだから。

 

 

 

もしも、そうだとしたら、

 

彼が私にこう接する理由。

 

つじつまが合う。

 

 

 

 

 

 

なんでこうするんだろうって、考えて、

お話していくうちに、彼もきっと考える。

 

 

 

 

結局のところ、私は、体調不良のふりをしてホテルで仮眠をしたいと懇願して、

そのすきにお金を払って、村をまきこんで、

 なんとか釈放されたから、

 

 

こんなのんきなこと言ってるけど。

 

 

でも、

あの会話がなかったら、

あの気持ちの共有がなかったら、

彼が悲しそうに遠い目をする一瞬がなかったら、

 

 

終わってたかな、とも思う。

 

 

人には絶対、背景がある。

 

 

私が見えているあなたは表面上でしかない。

 

B'zの稲葉さんも、イチブトゼンブの中で言ってる。笑

 

あなたは私の、

 

ほんの一部しかしらない〜〜♪って。笑

 

 

表面上の情報から、

少しでも多くのことを得ないから、

 

言葉の意味を考える。 

 

 

その人が発する言葉から、

どんな人生を歩んできたのか、

 ちょっとわかるかもしれない。

 

 

 

私は、

私の物差しでしか行きたくないとも思う。

 

少しでも多くの考えを知り、

より素晴らしい気付きを得たい。

 

 

そうやって、人を尊敬したり好きになったり、

そして、いいところは真似て、

自分にも取り入れたい。

 

取り入れたら、

私の目の前の人もきっと幸せになると思う。

 

 

 

 

 

無事だったので、

こんな呑気なこと言ってる。笑

 

平和ぼけ。

 

 

反省もしよう。

 

 

 

 

 

 

Nightmare before being 蟹工船

私の価値観が一個死に、

また一方で新しい価値観が生まれた瞬間でもありました。

 

時には雪を踏んで、ひたすら踏んで歩く。

やってるのかやってないのかわからない飲食店を除いて座る場所を探す。

徒歩20分なのに、何もないからか、ずいぶん遠く感じる。

そこに生活する人がいるはずなのに、人は私以外歩いていない。

 

信号はない。

「注意して渡れ」という信号が点滅しているだけである。

人も車も少ない街には信号すら必要なくなるのかなあ、とふと考える。

 

コンビニさえないない村には、

畑で農作業をするおじいさんとおばあさんが、

ずいぶん大きな畑にぽつんと座り、土いじりをしている。

 

畑が大きすぎるのかわからないが、人の姿がとても小さく感じる。

大きなタンクはJAのだろうか。

 

ここに住む子どもは、

何を見て、そこから何を感じて、何に楽しみ、何に憂うのか。

 

学校の廊下に張られた、無数の求人票を見つける。

 

10センチほどの長方形の白い用紙に書いてあるのは、

「高卒可」という言葉と月給。

仕事内容は清掃員か工場の缶詰のスタッフである。

 

 

初めて見たあの光景は、今でも忘れない。

薄暗い廊下。

 

学校の大きな窓から、

ワッと入る風で、求人票がバタバタと一斉に揺れて、

風に動かされた紙の音に、心がざわく。

 

子どもの将来は、この紙ペラ一枚で、そんなに簡単に選べるものなのだろうか。

どちらかしかないものなのだろうか。

 

 

「私の学生時代を話したところで、何も参考にならないかもしれない。」

 

環境が違いすぎる。

 

こんなの言う方が酷じゃん。

 

 

田舎であればあるほど、

隣の村と自分たちとを比べて、勝ちたがっているような言動が目立つ。

そして、「隣に比べて」まだ大丈夫、と自分たちに言い聞かせる。

 

 

地元の学校に行かない、「本当の」理由。

地元の学校よりも、街の学校に出たい理由は、

進学実績や就職率や、部活じゃない。

 

同じ人間関係に飽き飽きしたから。

もう逃げ出したいから。

 

 

 

でも先生にはわからないかもしれない。

 

 

子どもが本当の自由意思で自分の将来を選択できるなんて、実現できるのだろうか。

環境が子どもの意思を邪魔しない世界は、あるのだろうか。

 

 

ここにいったからこそ、感じたことでした。

 

「人をつないで幸せ設計」

日経に面白い記事があった。

 

「僕はいつもよそ者でした。」

 

から始まる文章。

 

コミュニティデザイナーの山崎亮さんという方の記事。

 

いつか、お客さんがこの人のファンで、聞いたことある名前ではあったけど、

その素晴らしさまでは知らなかった。

 

改めて、自分で見てみて素晴らしいと感じたので、書き留めます。

 

 

山崎さんがコミュニティデザインという道を歩むことになったきっかけは大きく3つ。

 

1つ目は、学生時代の転校。

出来上がっているクラスのコミュニティーに、どうはいっていくか、悩みに悩んだ心から。

自分の立ち位置というのは、どんな人でも探したことがあるのではないかと思う。

 

 

2つ目は、大学3年生の時に起きた阪神大震災

これを機に、都市計画の責任は大きいと痛感することになった。

 

そして、3つ目。

弟の自殺。

新卒で就職して間もなく仕事に悩んで自殺を選択した。

「つながり」があれば、自殺は免れたのではないか、と。

 

 

この3つの大きな体験に導かれ、

「モノではなく、人のつながり」を作ることに興味を持ち、

オーストラリアのメルボルン工科大学に留学した。

 

 

「環境デザイン」

 

どんな公園がいい公園なのか、

どんな病院がいい病院なのか、

 

建物の難しいところは、PDCAが回しずらいところ?

 

一度作って

「なんか違うね」、「これは失敗だった」といって作り直すのが難しい。

 

お菓子やご飯を作るのに比べたら。

 

だからこそ、人が話し合って、

こんなふうがいいねってアイディアや仮設を出すなど、

 

 

建てる前の仮説の積み重ねが有益なのでしょうか。

 

まったく、学んだことないからわからないな。

 

 

 

 

また、どんなにいい建物も、そこに人が活動しないと意味ないし。

人のアクションを生むような建物の設計がgoodだね。

 

 

うちの会社の環境デザインのとっても簡単なところでいうと、

フリアドのおかげで他事業の方とお話しできたり、

毎日同じ席から同じ景色を見ないといけないというストレスはないから、

有り難いかな~。

 

 

以上、山崎さんから学ぶ、

「建物によって生まれる環境デザインに関連して」

思ったことでした。

 

 

 

 

 

 

girl

弟に、彼女ができたかもしれない。 

ちょっとカッコよくなってるし。笑

 

 

なんで発見したかって、

 

 

後ろからのぞいた彼の携帯の待ち受けが、

 

女の子だったから。笑

 

グラビアとかじゃないよ、ふとした写真。

 

ボートに乗ってる彼女を撮ったみたい。

 

黒髪でち可愛い笑顔の女の子。

 

 

 

 

 

いいね、若いね!!

 

 

 

 

 

 

ということは。

 

私もきっと5歳上の人から、そう思われてるんだよね!?

 

 

若いねー!って。

 

oldもyoungも、どこまでも相対的な評価だからな。

 

じゃあ、たくさんおしゃれして、

たくさん、恋をしよう💓

 

 

 

「彼女にわたすプレゼント、何がいいかな」

 

なんて相談されたいなぁ。

 

 

 

 

 

 

いや、そこらへんの女子大生の気持ちなんて、

 

もうわからないから、

 

私は、役立たないかな。笑

 

 

 

 

47

母親とノリで占いに行った。

 

まぁ占いに本気で行くってだいぶ末期なきがするので、だいたいノリなのかもしれない。

 

 

あんまりノリっていうと軽く聞こえて占い師の方に申し訳ないので、「占われたい気分」にしよう!

 

わかったこと。

 

 

まずは、良い点。

1.美愛金に恵まれている、らしい。

 

 

2.自分の好きなことに従事した方がうまくいく、らしい。

 

 

3.革命家の星があって、大きな仕事にひきよせれてしまう、らしい。

マイナスを笑ってプラスに変える人、らしい。

 

 

 

 

あんまり良くない点は、

1.お金に恵まれてきたので、自立心が乏しく、

なんとかしなきゃっていう気持ちがない。

※なんとかなるだろう思考。

 

 

 

2.家庭におさまれない。

※家庭に革命は必要ないので笑。

 

 

 

3.内面は、自己犠牲心と他己愛に満ちているのに、外見は自由奔放なやつだと思われているし実際そうなので内外gapが激しく複雑。

 

 

4.好きなこと以外はモチベーションが低い。

 

 

 

 

 

はーい、その通りです。

 

「ところで、あなたの将来の夢はなんですか?」

 

と聞かれたので、ポールダンスで楽しく過ごすこと!ってまっさきに出てきたけど、

 

ポールダンスで革命ってよくわからないね。笑

 

 

 

生まれた時から、自分の人生なんて決まってるでしょ、という運命論者の私はこういう運勢占い、大好き。

きちんと体系的に、また理論的に出された結果という条件のもとだけど。

 

 

あと、そうだ。

 

 

この2年間は、とっても辛い時期だったらしい。何やっても上手くいかない。自信喪失の2年間。

 

ンー、確かに、大3の部活と留学とインターンは絶好調だったけど、

大4は、第1〜3志望の企業の本採用全落ちからの彼氏との破局だの、不本意な配属など、

思ってみれば。

 

 

出会いは、昨年の秋口から良い方向になったらしい。

そう、そして今年の9月から、仕事も上向きなるって。

 

これからの、2年間。

 

結婚するかも。

しないとしたら、大きな出世かも。

 

あと、世界規模の移動があって、ゆくゆくは海外にいっちゃうかも。

 

あと、あと、

 

 

47で、大きな病気になって、死ぬ、かも。笑

 

 

 

その病気は、肝臓かもって、

お酒飲んでないんだけどなぁ〜〜。

 

確かに

私のおばあちゃん胃癌で、

おじいちゃんも肺癌。

 

そういう家系なのかぁ。

やっぱり良い事も悪い事も、

運命なのかもね!!

 

 

私が47で癌で死んでら子どもがかわいそうだから、早く産んでおこうかな。

 

 

 

そんなん気にせんでええ!

という言葉が大好き!

 

悲しい時とか、寂しい時、誰かにごにょっと言いたくなる。

 

言ったとき、

「そんなん関係ないやん!ほっとけや!」

といわれると気持ちいい。

 

悲しみの殻にこもるという選択をしたのは自分でしかないと気付く。

 

どうしようもなく寂しい時に、

今寂しい、と素直に向き合うのも大事。

 

たまたま寂しいって思った時に、

 

たまたま、

会おうって言ってくれる友達と恋人には感謝だなぁと思う。

 

そのたまたまを、噛み締められるように、

日々の人間関係は大事にしたいな。

 

 

 

 

恋人への甘え

最近の私は、やけに、

自分の一番嫌いなめんどくさい女になってしまっていて、

反省しました。

 

もっと会いたい、とか

遠距離なんてやだ、とか

寂しい、とか

電話したい、とか

 

今まで全くなかったのに、不思議。

 

今まで何で言ってなかったのだろうか。

 

言いたいと思ってなかったのか、

 

自然と我慢してたのか。

 

もし後者なら、

 

今更、こんなこじらせ方して、凄くみっともないっすね。

 

おたふく風邪みたいに、子どものうちに一度やれば、もうこないやつだったらいいのに。