生と死

生と死は同じなのかもしれないと思った話。

 

@Varanashi

 

ガンガーで、

インド人は、

 

朝起きて沐浴をする。

朝日に手を合わせる。

 

ちょっとすると、ボートを動かす若者もいれば

ガンガーの岸で洗濯をするお母さん、

お母さんについてきて、ガンガーの歩道で物を売る子供、

水遊びをする少年。

 

たくさんの人が、ガンガーで生活をします。

生活の要であり源であり、彼らのコミュニティであり、アイデンティティであり、共有財産でもある。

 

そんな彼らの源、ガンガーに彼らはdead bodyを運び、水に浸し、火にかける。

 

飲む水も、洗う水も、死を清める水も、

皆一緒。

 

だから、何を考えたかっていうと、

ほんとは、生と死ってそんなに区別されてないんじゃないかなぁ、って。

 

 

日本では、あまりよくない暗いイメージだけど。

 

彼らが死体を運ぶ時、

オレンジのギラギラした布につつんで、何か大きな声をあげながら、鈴の音をじゃらんじゃらんあげる。

後ろの人は花びらでもまいていたのではないかな。

 

別に彼らは泣いてはないし、なんなら親族ではない。

日常茶飯事のように、3時間に1人は運ばれてくるんじゃないか。

 

それをぼーっと眺めてる人もいれば、

薪を準備する人もいれば

牧野付近に佇むやぎがいるだけ。

 

そう、なんだか、全てが、ナチュラル。

淡々と進むその儀式のような動作も、

ガンガーの水で清めた死体を引き上げて燃やしてしまえば、2.3時間も経たないうちにはいになる。

灰は、ガンガーの水面に無数に浮かんで黒い模様を作っている。

死体をくるんでいたオレンジの布の切れ端も少し光って浮かんでいる。

 

こんなもんか。

 

 

と思ってしまう。

 

 

人が生活をする「生」の場に、「死」をも包括するというのは、

生と死がつながっている、つらなっているからかな。

 

生あるものに死があるなら、

死の先に待つものはまた生かもしれない。

 

 

 

わたしたちは、

生からしか考えられないので死をマイナスととらえるけど、

死からしたら、死の次は生。

 

死んだら、生か待ってる!!笑

 

 

きっと、バラナシから、そんな輪廻転生を教えてもらった。

 

 

これで、愛する人の死は怖くない。

 

あ、三島由紀夫のバラナシ描写も、読み直さなくては。

 

 

なんと、不思議な街だった。

 

観光地化してるけど。笑

 

バラナシらしさは生きている。